代表のあいさつ

代表税理士坂本純一の画像

代表の生い立ち

誕生

みかんの国、愛媛県松山市にて昭和54年3月12日に坂本家の長男として誕生しました。

飼い猫のミーコのことが大好きで、毎日じゃれ合っていたようです。

幼少時代

産まれて間もなく父は失踪したようで(笑)、母と元陸上自衛隊の祖父、民宿兼食堂経営の祖母に坂本家の世継ぎとして大事に育てられました。
坂本家の朝は、祖父のフライパン叩きながらの「起床~~ 起床~~!!」の掛け声から始まります。

石手川ダムが見下ろせる2㎞四方一軒も家がないド田舎で、2つ年下の妹と、放し飼いにしていた犬、猫、にわとりを連れて山に入り、探検ごっこをして遊んでいたことを覚えています。下の写真の赤丸印が我が家です。山小屋ではありませんよ。

田舎暮らしでしたので、車での移動は軽トラックの荷台がほとんど、おじいちゃん、おばあちゃん子でしたので、旅行といえば「四国八十八ケ所霊場巡り」、園児ながら、ご近所さん(と言っても2㎞以上離れていますが、、、)家の仏壇で「南無阿弥陀仏」を唱えて感心されていたみたいです。

小学校時代

顔パンパンやったので、あだ名は「アンパンマン」でした(笑)

厳しい祖父のしつけにより、まじめに育ったように先生には見えたのか、6年連続学級委員に選ばれました。

おやつといえば「芋けんぴ」や「かりんとう」ばかりを食べていたので、お友達の家に遊びに行ったときに出された「カントリーマーム」というハイカラなお菓子を食べて感動し、その友達のことを勝手に「え~とこの子~」だと決めつけていました。

最寄りのご近所さん家まで2㎞以上離れていたので、卒業アルバムの将来の夢に「回覧板を回すこと」と記入し、クラスメートに笑われたのを覚えています。

5年生の時に母が再婚し、11歳年上の新しいお父さんが出来ました。
そして11歳離れた2人目の妹が産まれました。
お風呂に入れたり、おむつを替えたり、兄として出来ることを精一杯頑張りました。

中学時代

中学校でも3年連続学級委員に選ばれました。

部活動が始まり、親友のお兄ちゃんが部長を務めていた卓球部に強引に入れられましたが、入ったら入ったですごく楽しくのめり込んで、いつの間にか副キャプテンとして汗水垂らして頑張っていました。

校則に従い、丸刈りにしたのをきっかけに天然パーマになりました(笑)。

家計が大変なのを知っていたので、学費の面で少しでも負担を減らせられるように「どうすれば県立高校、国公立大学に入りやすいのか」を考え始めました。

2年生の時、担任に「行きたい高校よりなりたい職業を先に決めなさい」と言われ、最初は不純な動機なのですが、担任に「じゃあ金持ちになれる仕事は何ですか?」と質問したところ、「医師」「弁護士」「公認会計士・税理士」等の職業が挙がってきました。

その中で「税理士」なら、なるまでにあまりお金もかからなさそうだし、自分の生活にも役立ちそうだし、と考え「税理士」を志すことをなんとなく決めました。

担任から「税理士」を目指すなら、普通科に進学するより、商業高校に進学するほうが近道だし、商業高校でも上位1%くらいの成績をキープしていれば国公立大学への推薦枠もあることを教えて頂き、完全に迷いがなくなりました!

高校時代

高校野球で有名な「松山商業高等学校」に入学し、またまた3年連続学級委員に選ばれました。

松山商業高校の硬式野球部は、2年生の夏、3年生の春、3年生の夏と3期連続で甲子園に出場し、最後の夏に見事、熊本工との延長11回の死闘の末、6-3で全国優勝を果たしました

「奇跡のバックホーム」ってご存知ですか?
知らない方は「奇跡のバックホーム」で検索してみて下さい。

何度見ても鳥肌が立ちますし、感動して涙が出てきます。
矢野選手をはじめ、野球部のメンバーと同級生というのが何よりもの自慢です。

勉強の方ですが、中学生の頃の偏差値を考えると、楽勝で学年トップだろうと高を括っていたら、1年生最初の試験での成績は不覚にも学年13位。こんなことでは国公立大学への推薦枠が取れないとしばらく落ち込みました。

勉強に身が入らなかったので部活動で気を紛らわせようと「ソフトテニス部」に入部しました。中学時代の卓球経験が功を奏し、カットをかけたサーブが得意でサービスエースを量産しました。
テニスは地面からの照り返しが激しいので、夏場はとても大変でした。

部活よりも大変だったのが下校です。
帰り道は街頭もなく真っ暗ですし、マムシやイノシシにも遭遇します。
暴走族にも絡まれました。
自転車が漕げないくらいの急な上り坂でしたので、自転車を押しながら90分程かけて暑さと恐怖に怯えながら、毎日汗だくで家に帰りました。

そのお陰で、小学生の頃は四段腹だっただらしない肉体が、いつの間にか体脂肪率1桁%台のスリムな体に仕上がりました。

2年生のとき、常に成績学年トップでバスケ部でも活躍していたMちゃんに恋をしました。
Mちゃんに追いつこうと必死で勉強しましたが、Mちゃんの壁は高く足元にも及びませんでした。が、Mちゃんの順位を抜いたら告白しようと目標を立て、あきらめずに頑張りました。

3年生のとき、ついに成績学年2位となりました!!!しかし、まだ上にはMちゃんがいます。

冬休み明けのテストでやっとの思いで念願の学年トップになり、ギリギリ間に合った~とMちゃんに告白しました。

するとなんと!

3年間一途に想い続けてきたMちゃんに、、、、、、

な~~~~~~んと!!!!!!!!

あっさりフラれちゃいました~~~~(/o\)

と、甘酸っぱい思い出もありながら、なんとか兵庫県立神戸商科大学への商業科推薦枠を頂くことが出来ました。

Mちゃんのお陰で勉強が捗りました!ありがと~~~~~!

大学、専門学校、大学院時代

「神戸」という港町で都会的なイメージを抱いて愛媛から出てきたものの、私の通った神戸商科大学(現在の兵庫県立大学)は、ほぼ明石に近い山の中にあり、理想と現実のギャップに最初はショックを受けました(笑)

その当時は「イエローモンキー」や「JUDY AND MARY」に憧れていましたので、フォークソング部に入部しバンド活動に励みました。

学費を稼ぐため、家庭教師を1日4軒はしごした後、深夜のびっくりドンキーで働く生活。睡眠時間は毎日2時間もなかったように思います。

深夜のびっくりドンキーでのバイトのお陰で、サービス業の面白さを知り、この頃から、将来自分が税理士事務所を経営するなら「士業」でなく「サービス業」として営もうと考え始めました。

3回生の前期ですべての単位を取り終えて、大原簿記専門学校とのダブルスクールが始まりました。

4回生の8月、税理士試験「簿記論」を初受験しました。
商業高校出身ってこともあり、ここでも楽勝だろうと高を括っていたのですが、まさかの「19点/100点満点」。手も足も出ませんでした。

国家試験の壁は高かった!Mちゃんよりも高かった!(笑)

税理士試験勉強2年目、負けず嫌いの血が騒ぎ、1日13時間の猛勉強が始まりました。
盆も正月も関係なく、実家の愛媛に帰っている間も上級個別問題集をひたすら解いていたように記憶しています。

さらに、税理士試験勉強をすることで、会計や税法学の面白さに取りつかれ、専門学校に通いながら、夜間の大学院にも通い「税法学」を研究するというスパルタンな生活を2年間送りました

そんなこんなでなんとか無事に税理士試験に合格することができ、大原簿記から講師のスカウトを頂きましたが、実務経験を優先して会計事務所に就職することにしました。

開業

2軒の会計事務所を経験した後、29歳の11月、神戸の三宮に治療院専門税理士事務所「Libra会計」を開業しました。

「30歳までには独立する!」と決めていたので、無事に有言実行となりました。

会計事務所の持つ「堅い」「根暗」「上から目線」「専門用語」「上司が陰険」「パリッとスーツ」「まじめ」「相談し辛い」「完璧主義」「福利厚生無し」等のイメージを払拭すべく、常識を疑い続ける会計事務所を作ろうと考え今に至っています。

最近では、ポロシャツで訪問してくる税理士事務所として、せま~い範囲ですが有名になってきているように思います。

スタッフを含め「仕事」が「道楽」になればいいなをモットーに楽しい税理士事務所を造っていきます。

代表の想い

「サッカーで言うところのDF(ディフェンダー)になりたい。」

Libra会計は社員一同、その想いで治療院経営者のサポートに取り組んでいます。

院経営をサッカーに置き換えてみて下さい。
 治療院経営者の中には、売り上げを上げること(攻撃面)にのみ力を注いでおられるかたが数多くいらっしゃるように思います。
サッカーの試合で、点を取ることだけを考えて攻撃だけに徹し、守備を全くしなかった場合はどうなるでしょう?

仮に、10点取れたとしても9点失点してしまい、得失点差1で辛くも勝利という苦しい試合展開になることが予想されます。
10得点をあげるためには、気力も体力も相当使うことでしょう。

逆に、守備面に重点を置き全員でゴールを守り、攻撃面はカウンターアタックで数少ないチャンスをものにし、得点をあげるような場合はどうでしょうか?

得点は3点しか取れませんが失点ゼロ、得失点差3で楽々勝利となる可能性が高いと思われます。

経営をサッカーに置き換えると、

と言えると思います。

将来にお金を残すために経営で一番大事なことは、この「得失点差を大きくすること」です。

得失点差を大きくするためには、気力や体力をフルに使って大量点を取りにいかなくても良いんですよ!

経営者のみなさまは無理の無い範囲で点を取ってくだされば、DFであるLibra会計が最少失点に抑えますので!!

個人で治療院を経営されている経営者の中には、顧問料という固定費の増加を恐れて、税理士というDFを付けておられないかたが多くいらっしゃいます。

でも、考えてみて下さい!!

 税理士に支払う年間顧問料の金額以上に、税金が少なくなったり、経費を多く計上することができたりして、出ていったお金よりも浮いたお金のほうが多くなればそれだけでも税理士というDFを雇うメリットがありませんか??

経営のディフェンス面は治療院経営者を90件以上クライアントに持つLibra会計に安心してお任せください!!

私は「治療院会計の専門税理士になろう!」と奮起し、29歳の時に独立開業しました。

それまでは某税理士法人の勤務税理士として数多くの経営者の相談に乗ってきたのですが、何か物足りなさを感じていました。その物足りなさの要因は、「経営者の悩みは経営者にしかわからない」ということでした。私自信が経営者でなかったため心底の悩みまで伝わってこなかったのだと思います。

「経営者の悩みを心底理解するには、自らが経営者になるしかない!!」

自分がなってみてわかりましたが、経営者というのは本当に孤独なものなのですね。あらゆる意思決定を即決しなければならないにも関わらず、相談できる相手がいない・・・。

その相談相手、私が引き受けます!!

Libra会計の若きスタッフたちを、あなたのTeamのDF(ディフェンダー)として雇ってください!!

税理士の坂本純一を、何でも受け止めてあげられる、あなたのGK(ゴールキーパー)にならせてください!!